日々、進歩を続ける医療は、人を対象とした研究の成果を通してその技術が確立し、我々のもとへと届けられています。一言で研究と言っても、ゲノム情報を用いた研究から新薬開発のために実施される治験、更には、市販後の最適な治療法の評価、開発時には検出が困難な副作用に関する薬剤疫学研究、医療経済性の評価など、その種類は非常に多様なものです。そのため、医学のみならず、薬学、生物学、工学、経済学、統計学など様々な学問の専門家が関わって実施されています。

一方で、全ての研究で共通していることは、それぞれで必要なデータを計画的に収集し、解析し、データに基づいた意思決定を行っているということです。近年、データサイエンスという新しい科学研究の方法論が注目を集めていますが、医療という分野は比較的古くからデータサイエンスを実践してきたとも言えます。本講義シリーズでは、薬や治療が社会に届くまでの全体像を俯瞰し、実際に研究に関わっている方からの話を伺うことで、健康社会を支える様々な学問の貢献を考えていきます。

【AMED生物統計家育成支援事業】
2019年度SセメスターGLP指定科目

新しい医療の開発と関連する様々な学問

第1回  4/9(火)

大庭 幸治(情報学環)

初回は、ナビゲータを担当する大庭から本講義シリーズの概要として、新しい医療が社会に届くまでの現在の状況を分かりやすく説明し、各段階でどのような学問が関わっているかを紹介します。新しい医療が社会に届くまでに、どのような点が課題とされているのでしょうか。その中での、データサイエンスの実践とは。現在、進路を模索している学生には、このシリーズを通して、よりよい健康社会を目指す上で自分がどのように関わっていくことができるのかを考えるきっかけにしてもらえればと思います。

医療におけるデータサイエンス

第2回  4/16(火)

松山 裕(医学部)

皆さんは統計学にどのようなイメージを持っているでしょうか?医学分野において、新しい医療の効果や副作用を客観的に評価するためには、データに基づいた評価・判断が必要となります。そこで大活躍するのが、統計学と呼ばれる学問です。近年は、人工知能などに代表されるデータサイエンスと呼ばれる新たな学問の流れもうまれてきています。本講義では、コーディネータを担当する松山より、この講義シリーズを通じて知っておくべき医学研究における統計学の基本知識を分かりやすく説明し、医療におけるデータサイエンスの取り組みについて講義します。

ゲノム情報と人工知能を用いた新しい時代のがん医療

第3回  4/23(火)

井元 清哉(医科学研究所)

がんは、多数多様な後天的変異がゲノム上に蓄積され、正常な制御から逸脱した結果生じる疾患であると考えられています。技術革新により30億塩基対からなるヒト全ゲノムのシークエンスデータ(約200GB)は10万円以下となりました。このデータをスーパーコンピュータにより解析することで、がん細胞に生じた変異が同定されます。しかし、その数は数千から数万、数十万以上にもなります。この中から、がんを生じた原因の変異を同定し、効果が期待できる抗がん剤の選択、治療法の提案を行うことが必要です。そのために、2000万報以上の生命科学の論文、1000万件以上の薬の特許情報、データベースの情報等を統合的に利用しなければなりません。このプロセスに人工知能を活用し、より網羅的に効果的な治療の探索を行う研究が行われています。本講義では、最新のがんゲノム医療とそこで活躍するデータサイエンスについて講義します。

「薬が効く」ことを政府が「認める」とはどういうことだろう?

第4回  5/7(火)

小野 俊介(薬学部)

普通の食品と異なり、薬は「効く」ものであると誰もが思います。しかし「薬が効く」とはいったいどういう意味なのでしょうか。この世界の何がどうなっていれば「薬が効く」と言えるのでしょうか。製薬企業は政府の許可(承認)を得ないと薬を販売できません。政府の医薬品審査部門は、薬の販売許可を与える前に1年ほど時間をかけて、本当に「薬が効く」かどうかを審査します。しかし「薬が効く」ことや「薬が安全」なことを「認める」ためには、誰が何をどのように判断すればよいのでしょうか。判断はどのようなデータに支えられるのでしょうか。この講義では現在の医薬品規制が膨大なデータと格闘する姿をできるだけ専門用語を使わずに解説します。

再生医療の治療開発について

第5回  5/14(火)

髙橋 政代(理化学研究所)

再生医療(細胞治療)は細胞という生ものを扱うという点で低分子化合物や抗体医薬による治療と大きく異なります。細胞は変化しやすく大量生産が難しい。また製品が投与後にホストの環境によって変化するという特徴があります。このような性質から従来の治療開発や規制では対応できにくい点が多く、日本ではその特性に合わせた再生医療等安全確保法と新しく再生医療等分野を加えた薬機法によって対応しています。その考え方はリアルワールドデータの重要性が言われ従来のEBM(Evidence Based Medicine)の見直しが起ころうとしている低分子化合物にまで及び日本では規制の変化が進んでいるところです。また、今後AIロボティクスを加えた開発研究の変化も起こることが予想されています。iPS細胞を用いた網膜細胞治療開発を例に現状と今後をお話しします。

臨床試験の実施と解釈

第6回  5/21(火)

大橋 靖雄(中央大学理工学部)

新しい治療法や予防法の有効性の検証には最終的には臨床試験が必要です。一般的には、さらに倫理的な問題が無ければ比較対象(コントロール)を設定したランダム化臨床試験が行われますが、ヒトを対象とし、(とくに予防試験では)しばしば大規模とならざるを得ず、さらに経済的利害関係が絡む臨床試験には実施上の課題がとても多いです。2013年に発覚した降圧薬臨床試験の不祥事は、わが国の臨床試験実施のためのインフラストラクチャの未成熟さとともにこれらの課題を浮き彫りにしました。試験統計家(生物統計家)が臨床試験遂行のために必須の人材と広く認識され、日本計量生物学会が試験統計家認定制度を開始したのも本事件が契機となっています。本講義では、医療技術の進歩を支えた臨床試験・統計方法論の歴史を概観し、演者が絡んだ大規模臨床試験の紹介を通じて結果の解釈の問題を議論し、新たな臨床試験の方向性について論じます。

アカデミアで行う臨床研究の意義

第7回  5/28(火)

藤原 康弘 (国立がん研究センター)

私たちの行っている診療は、過去に国内外で行われた多数の臨床研究の成果に基づき成り立っています。そして臨床研究には、ヒト由来の細胞株や手術時などに得られた組織を用いる研究から、世界規模の製薬企業が国際共同で実施する臨床試験まで、その内容は様々な形態があります。一方で、基礎研究の成果が、日常診療に広く導入されるまでの期間は約四半世紀かかり(Science  321:1298-1299, 2008)、医薬品の場合だと世界市場に展開するためには1000億円以上の費用を要すると言われています。このため、企業が臨床研究を行うのは、商業的に投資を回収できる疾患領域に限定されやすくなり、難病や希少疾患領域での臨床研究は企業からは見向きのされないことが多いのです。大学を中心としたアカデミアで行われる臨床研究は、この難病や希少疾患領域での臨床研究に大きな役割を持ち、これまで数々の成果をもたらしてきました。本講義では、これらを解説すると共に、内在する問題点を考察します。

医療ビッグデータを用いた医薬品等の安全性評価(薬剤疫学)について

第8回  6/11(火)

小出 大介(医学部附属病院)

医薬品等は動物実験及びヒトを対象とした臨床試験(承認審査を目的としている場合は治験)を経て、国の承認を得た後、市販されるようになるわけですが、市販前の臨床試験(治験)などは、ある意味で実際の医療現場とは異なる評価しやすい環境下での試験(症例数も少なく未成年や超高齢者などは除外されやすい、合併症や併用薬も限られた試験が多い、試験期間も短く長期的な有効性や安全性がわからない)が多く、市販後に思わぬ副作用のために折角の新薬も市場撤退したり、薬害という大きな社会問題になったりした事例も過去に幾つかあります。そのような医薬品等の特に市販後の安全性については製薬企業などの製造販売後調査や自発的な副作用報告に頼る面も大きかったのですが、それも十分でないことから近年は情報システムの進展による電子カルテなどの医療情報システムが普及していることを踏まえ、これら医療ビッグデータを用いた市販後の医薬品等の安全性監視を薬剤疫学という手法を用いて能動的に実施することが日本のみならず国際的に注目されています。そこでそのような医療ビッグデータを用いた医薬品等の安全性評価である薬剤疫学という学問について講義します。

質量分析と機械学習を融合したがん診断支援装置の開発:学際的研究から産学連携へ

第9回  6/18(火)

竹田 扇(山梨大学医学部) 田邉 國士(早稲田大学理工学術院)

医療の進歩と共に診断に必要とされる情報 (データ) の量と質は前世紀末より飛躍的に増大しています。医療情報は安定かつ確実で具体的なもの (形式知) と不安定かつ不確実である抽象的なもの (暗黙知) から成り立っており、経験豊かな臨床医はこれらを最大限に活用して鑑別診断を行ない、最終的な診断に辿り着きます。前世紀にはこのような知を総合する第二世代AIとしてエキスパートシステムが流行しましたが、今世紀に入りディープラーニングに代表される第三世代のAIである機械学習パラダイムに取って代わられつつあります。本講義で紹介する質量分析と機械学習を組み合わせたがん診断装置はこの新しいパラダイムに基づくものです。特定の疾患に対する多量の臨床データと病理診断の対の情報を機械に入力し、診断未知のデータに対して病理医が行う推論を模倣する計算システムを構築しました。この様な装置の開発には様々な分野の専門家の協働が不可欠であり、またその商品化には企業の力が必要となるのです。本講義では、立案、研究、開発から現在進行中の臨床試験で主導的役割を果たした竹田、田邉が先ずそれぞれの立場から短い概念的レクチャーを展開する。これを受けて生物統計家としてこの臨床試験に加わっている大庭を交えた具体的なパネルディスカッションを行ない、データサイエンスが果たす医療機器への役割を総括したいと考えています。そこでは、学生諸君にも積極的にディスカッションに加わってもらえるよう工夫する予定です。

臨床疫学―医療の不確実性に挑む科学

第10回  6/25(火)

康永 秀生(医学部)

人々の命や健康も、それをあずかる医療も、「不確実」です。人はいつどんな病気にかかるかわかりません。病気にかかった人に、個別の治療がどの程度効果があるのか無いのか、実際にその治療を受けてみないとわかりません。不治の病を患った人が、あと何年生きられるか、ピタリと言い当てられる医師はいません。どんなに医学が進歩しても、すべての病を克服することはできないし、老化を止めることもできません。人はいずれ死ぬ。その意味で、医療は永遠に不確実であると言えます。「臨床疫学」とは、医療の不確実性に挑む科学です。多くの患者のデータを集め、統計解析を駆使して、より確実な医療を探索しつづける学問です。どのような環境的要因・遺伝的要因が、どの程度の確率で、病気の発生や悪化をひきおこすのか?どのような検査の組み合わせが、病気を正しく診断する確率を高めるのか?多くの治療の選択肢があるとき、どの治療が有効・安全である確率が高いのか?重い病気にかかった後、どの程度の確率で、どのくらい長く生きられるのか?患者たちにとって切実な疑問の数々に対し、緻密なデータ分析に基づいて、なるべく正解に近い答えを追い求めようとする学問です。本講義では、臨床疫学のエッセンスについて、初学者にもわかりやすく解説します。

命とオカネ、くすりとオカネ…くすりの費用対効果とは?

第11回  7/2(火)

五十嵐 中(薬学部)

病気やケガをしたときに、誰でも安く治療が受けられるシステム・国民皆保険。半世紀以上にわたりこのシステムに「慣れ親しんできた」日本では、ほとんど全ての薬が保険で使える状況が、当然のものとして維持されてきました。しかし、抗がん剤オプジーボや、CAR-T療法キムリアなど、よく効くけれども極めて高価な薬剤が次々と開発されたことに伴い、今まではタブー視されてきた「命とオカネ」の問題が急速に注目を集めるようになります。全ての薬が保険で使える状態は、実は世界的にはごく少数派です。世界の多くの国が、オカネと効き目のバランス、すなわち薬の費用対効果を考えた上で、結果を医療保険制度に何らかの形で反映させています。本講義では、「オカネと効き目」のバランスをどのように測るのか?さらには、そこで測られるべき「効き目」とは何か?を中心に、皆さんが高齢者に、私が後期高齢者になる時代まで保険制度を長持ちさせる方法を考えていきたいと思います。

新しい医療や情報をどう患者や市民に届けるか

第12回  7/9(火)

髙山 智子(国立がん研究センター)

数多くの研究が行われる中、多くの新しい医療が生まれています。そのスピードはかつてないほど速くなっています。ではそうした新しい医療を、実際に患者や市民に届けるためにはどのようなことが必要でしょうか。新しい医療は、その効果や安全性が確かめられた上で、社会に届けられます。けれども医療は必ず不確実性を伴うため、どのような治療でも効果がある一方でリスクも伴います。これらの情報を偏りなく、伝えることが必要になってきます。そして情報を活用する側は、それが正しいか、信頼に足るものかを判断することが必要になります。専門性が複雑かつ多様になる中で、こうした判断は、医療現場にいる医師であっても難しい状況が出てきています。また情報の受け止め方や理解は、だれがどう発信するか、また受け手が置かれた状況や価値観によっても異なります。新しい医療を届ける最終ゴールである享受者の患者や市民に届けるまでの情報をどうつくり、どう伝え、活用できるようにしていくか、そのためのプロセスについて、現在の課題とともに紹介していく予定です。

コースのまとめ

第13回  7/16(火)

松山 裕(医学部) 大庭 幸治(情報学環)

この回は、コーディネータの松山と、ナビゲータの大庭とが、全12回を概観します。学生との双方向のコミュニケーションのなかで、これからの医療におけるデータサイエンスの役割と可能性を総括します。