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2016年Sセメスター

古典は語りかける

コーディネータ 小島 毅 (文学部)
ナビゲータ  谷口 洋 (教養学部)
  • 哲学/思想
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古典は、社会が受け継いできた文化的遺産です。古典を学習する本来の目的が大学入試で高得点を獲得するためでないことは、言うまでもありません。高等教育を受ける者が具えるべき教養として、代表的な古典作品について、それらの時代背景や流布・受容の歴史を知ったうえで、自分で実際に繙いてみることは欠かせません。この講義では、西洋文明における古典として古代ギリシャの作品と、東アジア共通の伝統文化を構成する中国古典、および日本独自の古典作品について、総合的に俯瞰します。学問の専門化・細分化が進み、また高度に発達した情報社会のなかで先人たちの智慧が忘却されがちな現在、あらためて古典の普遍的な価値を認識してもらうことを目的とします。この授業を通じて、受講者各自が古典というものの重要性を再認識し、自学自習してくれるようになることを強く希望します。なお、授業では現代日本語訳を利用するなどして、語学的な基礎学力がなくても理解できるようにします。

古典は語りかける-ガイダンス

第1回 4/6

小島毅 (文学部)、谷口洋 (教養学部)

この講義の目的と受講者に期待する内容について説明します。あわせて、担当講師と講義で取り上げられる諸作品について紹介し、事前学修の内容を具体的に指示します。

 

ギリシャの文学と哲学

『オデュッセイア』を読む-「ヒュブリス! どっちが?」

第2回 4/13 『オデュッセイア』の世界: 物語前半 (1-12巻)

第3回 4/20 法廷弁論としての『オデュッセイア』: 物語後半 (13-24巻)

葛西康徳 (文学部)

『イリアス』と並んでホメロスの作として伝わる『オデュッセイア』は、一方で主人公オデュッセウスの冒険譚を描いたファンタジー作品であるとともに、他方で自分のイエ (オイコス) とイタケー島の支配と秩序の回復を描いた「現実的」作品でもあります。本講義では、「ヒュブリス (hybris 横暴、傲慢)」という語を手掛かりにして、ファンタジーと現実の間を、行ったり来たりしてみたいと思います。第2回は、「オデュッセウスの世界」ではなく「『オデュッセイア』の世界」を、前半のオデュッセウスの流浪・冒険物語を中心に、読んでゆきます。第3回は、『オデュッセイア』という作品は、求婚者殲滅を正当化する一種の法廷弁論であると仮定して、物語後半を読んでゆきます。テキストとして、翻訳『オデュッセイア』 (岩波文庫他) を予め読んできてほしいと思います。

ソクラテスという「哲学者」の誕生

第4回 4/27 ソクラテスは何故死刑を受けたのか? (「古くからの告発への弁明」を中心に)

第5回 5/11 ソクラテスの生は何を生んだのか? (「哲学者の生の弁明」を中心に)

納富信留 (文学部)

ギリシャの哲学者ソクラテスは、アテナイの法廷で「不敬神」の死刑判決を受け、前399年に処刑されます。プラトンや他の弟子たちは、その生き様と言論を著作で描きました。その代表作『ソクラテスの弁明』は西洋の古典として広く知られていますが、その真意はまだ十分に理解されていません。ソクラテスが法廷で語ったとされる「真実」とは何か、それはどのように「哲学」を生み出したのか。現代における意味を、一緒に考えてみたいと思います。

 

中国の文学と哲学

「屈原」とは何者か

第6回 5/18 激情と悲劇のヒーロー:「離騒」とその伝統

第7回 5/25 革命的愛国者か文学的虚像か:「離騒」は近代においてどう読まれたか

谷口洋 (教養学部)

秦の覇権を前に、楚国の衰運を背負って入水した屈原の悲劇は、その作とされる『楚辞』の高い調べとともに、人々の胸を激しく打ち、のちの文学にも大きな影響を及ぼしました。しかし近代には、屈原は愛国の英雄と賛美されたかと思うと、『楚辞』とのかかわりを疑われるなど、その位置づけは大きく揺れ動きます。古典を読むことと古代を研究することの関係にもふれつつ、現代において屈原をどうとらえるかを考えます。

論語を学ぶ、論語に学ぶ

第8回 6/8 学について (「学びて時に」の章、「徳は孤ならず」の章、「一を聞いて十を知る」の章)

第9回 6/15 礼について (「免れて恥無し」の章、「事ごとに問う」の章、(うまや)火事の章)

小島毅 (文学部)

『論語』は今もなお多くの読者を惹き付ける古典です。その内容については、歴代の注釈者たちによるそれぞれの読みがなされてきました。儒教の展開は、テクストの「正しい読み」を求める歴史であったともいえます。授業では、珠玉の数章を味わいながら多様な解釈を具体的に紹介します。それにより、『論語』の読まれ方について学んだうえで、いまの私たちが『論語』から学ぶことができる智慧について考えていきます。

 

日本の文学と哲学

『徒然草』の <貧> と <閑> の思想

第10回 6/22 「ある大福長者」の蓄銭の心得をめぐる兼好の洞察 (第217段)

第11回 6/29 貧しく閑暇に生きること (第10、12、13、18、19、75、93、108、235、241段等)

藤原克己 (文学部)

エーリッヒ・フロムのTo Have or to Be? (佐野哲郎訳『生きるということ』) は、私たちの社会が持続可能であるためには、私たちの生き方が、ひたすら所有を求めるhaving modeから、あること (生きること) 自体の充実を求めるbeing modeに変わらなければならないと説いています。このフロムの思想を参考にして、『徒然草』の <貧> と <閑> を重んずる思想の現代的意義を再考してみたいと思います。

漢文と和文の世界観

第12回 7/6 近世から近代への変化: 四書五経と古事記

第13回 7/13 グローバル化による変化: 国を超えた古典

黒住真 (教養学部)

『古典』の形成は、根底的な言葉による世界観の構築になっている場合が多いです。日本では、その言葉が、漢語と和語と両方が結び付いており、時代や社会によって、両者の関係や位置を変化させる、という歴史があります。その世界観の大きな構築は、とくに近世といわれる江戸時代に形づくられ、それがまた近代といわれる明治維新以後に、国内的に位置付き、使用される歴史をもちました。しかしまた20世紀末になると、グローバル化による変化もあります。そこにはどんな歴史があり、今後何が発生するのか。漢文と和文の世界観が日本においてどのように形成され変化していくのか、その意味を捉え考えてみます。

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